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町長からのメッセージ

令和6年3月1日

 当たり前のことですが、今年も3月がやってきました。
 3月という時期は、子どもの頃からひとつの区切りとして自分の中に存在しています。学生の時は学年末や卒業であったり、行政の仕事をするようになってからは、職員の退職や人事異動であったりと、何となく落ち着かない時期でもあります。
 人と出会うということは、いつか別れが来るということです。
 町長に就任してから、大勢の人と知り合いになる機会をいただいています。特に交じわりが深いのは市町村長(首長)さんですが、役職がら「任期」というものがあります。通常4年の任期を終えると、次期も首長を続けるには選挙という審判を受けることになります。
 この選挙によって、様々な関わりの中で協力したり、助言をいただいたり、そんな関係性が生まれた仲間と別れなくてはならない時があります。ふと思うと寂しい気持ちになるときもありますが、これが政治の世界なのかもしれません。人はひとりでは何もできません。いただいたご縁を大切にしたいと改めて感じる春です。
 3月は、締めくくりの月であるとともに、新しい年度へ進む準備をする時でもあります。来年度するべき仕事を定め、そのための予算を議会でお認めいただく議会が開催されています。
 新聞では、各市町村の予算編成状況が報道されていますが、過去最大という記事が多く見られ、白川町においても過去最大の予算規模となっています。その理由は、庁舎、学校の建設に係る費用が大きいということはありますが、道路、水道、町の施設などの老朽化によるところも大きな要因です。この先、白川町で住み続けるために必要なものを守っていけるよう、皆さんと考え進めていきたいと思います。
 今年も花粉飛散量が多いと予想されています。花粉症の方には厳しい季節ですが、どうぞご自愛ください。

 

 

令和6年2月1日

 令和6年は、能登半島地震による災害での幕開けとなってしまいました。
 1年のうちで最も一家団欒の時を過ごしているはずの元旦、16時10分に突如としてマグニチュード7.6の地震が発生し、まさに青天の霹靂でした。
 犠牲となられた方に哀悼の意を表し、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 白川町でも河岐で震度3、黒川で震度2を観測し、職員が役場に参集して対応にあたってくれましたが、幸い被害はありませんでした。
 以前より、この地域は固い地盤の上にあり、地震には強いと言われていますが、本町より離れている愛知県が震度4であったことから考察すると、確かにそうなのかもしれません。とは言うものの、地震は台風や大雨と違い、時を選ばず突然やってくるものだということが、今回の能登半島地震で実感として感じられた方も多いと思います。
 発災直後に、被災地の派遣依頼を受け、罹災証明事務や避難所運営のため町職員が現地へ行ってくれました。能登地域の市町村職員自身も被災されており、行政で対応するのは困難な状況になっています。
 地震を防ぐのは無理なことです。道路の寸断などにより孤立した際のことを考えると、公の手が入るまで相当な時間がかかることもありえます。地域の助け合う力を今一度話し合うことが重要と思います。高齢者が多い状況の中、1人も犠牲者を出さない防災対策について、皆さんもそれぞれの立場で見つめ直していただければ幸いです。
 コロナが第10波到来と言われています。新種の株が蔓延しているようですので、少し緩みがちなコロナ感染対策を今一度引き締めて、2月を乗り切りましょう。
 一日も早く、能登に復興の春が訪れるのをお祈りいたします。

 

雪割草(ユキワリソウ)、早春に多くの花に先駆けて開花し、雪を割るようにして花を咲かせることが名前の由来で、春を告げる花。

 

新年あいさつ 令和6年1月

 あけましておめでとうございます。
 令和6年の幕開けです。
 令和になって5年も過ぎたのかと思うと、時の速さを実感します。
 今年は2月が29日まである閏年です。普段の生活には特に影響ありませんが、1年が366日になって1日長いですね。基本的には、西暦の年(今年は2024年)が4で割り切れる年を閏年とされているそうです。
 さて、CC-Netの「めざまししらかわ」での年頭挨拶で紹介しましたが、今年の漢字1文字を「往」としました。昨年の「継」では、先人の思いを受け継ぐ気持ちで1文字を選びましたが、今年は前へ進んで行く意味を込めて「往(ゆく)」としました。何かと課題山積の本町ではありますが、それでも前を向いて一歩一歩進んで行きたいと思います。
 町民の皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、本年もご指導ご協力いただきますようお願いし、年頭のごあいさつとさせていただきます。

 

令和5年12月1日

 1年があっという間に過ぎ、師走となりました。
 つい先日まで暑かったような気がしますが、短い紅葉の季節を終え、山々は時おり雪化粧するようになりました。
 師走は、「お坊さんが東奔西走する忙しい時期」と言われますが、昔ほど年末感というものを感じなくなった気がするのは私だけでしょうか?何となく忙しくて、お正月に備えて買物や大掃除や片付けものをしたりと、年末に向かうほどバタバタしたものですが、最近は普段とあまり変わりません。
 大晦日には、皆さんのご家庭で今も「年取り」の行事が行われているでしょうか?子どもの頃は、一年で一番のご馳走が食べられる楽しみな行事でした。今の時代は、海の幸でもお肉でも、色々な食材が年中手に入ります。昔の贅沢が日常的になって、いい時代なのかもしれませんが、楽しみや感動が薄まった気もします。幸せ感というものは、人それぞれ違うと思いますが、些細なことでも嬉しいと思えた時代のほうが、幸せ感がたくさんあったようにも思います。
 今冬の長期予報は、暖冬とのことです。積雪が少ないと交通面でもありがたいと思いますが、寒いときは寒く、暑い時は暑いのが自然の摂理で、色々な影響は少ないのかもしれません。
 コロナが落ち着いたら、インフルエンザが流行しています。年末に向けご自愛いただき、良い年をお迎えください。

 

 

令和5年11月1日

 北の方では雪の便りも聞かれるようになりました。
 先月上京した際、国会議事堂の周りにあるイチョウ並木は、少し色づいた程度で、昨年より遅れている感じでした。今夏の猛暑が影響しているのでしょうか…。
 9月から11月は、来年に向けて様々な事業に対する要望活動が行われます。白川町は、町税のように直接受け入れる収入だけでは行政が成り立ちません。国や、県から交付される財源を使いながら、道路や水道、福祉などの事業を行っています。
 この財源を、来年度もしっかりと予算化していただくため、必要性を説明し、お願いしてくるのですが、この時期は、特に道路に関する要望が集中します。国道41号は、「上麻生防災」という国の事業で、3つのトンネルと4本の橋梁の工事が進められています。天心白菊の塔があった場所に、新しく橋が架かっているのを見られた方もあると思いますが、これは、対岸にトンネルを掘削するため架けられている工事用の仮橋です。半分ほどで止まっていますが、これから冬場にかけて残りの部分の工事が始まります。
 今月も国への要望は続き、3回ほど上京しますが、少しでも早く、前へ進めるようお願いしてまいります。
 コロナが流行していた頃と比べると、東京は外国の方であふれています。タクシーの運転手さんの話では、「お客さんは増えたが、タクシ-業を辞めてしまった人が多く、運転手が足りていない」とのこと。日本中が少子化の波に飲まれる中、何年か先の将来が今と同じように過ごせているとは考えられません。国も地方も、真剣に考えていかないと間に合わなくなりそうな気がします。
 一日の寒暖差が激しい時期です。体調を崩されませんようお過ごしください。

 

 

令和5年10月3日

 日中の陽射しにはまだ暑さを感じますが、朝晩は肌寒く感じるほど気温が下がるようになってきました。
 10月は神無月。神々が出雲に集まって翌年について会議をされるとか…。海外で日本の文化の人気が高いのは、万物に八百万の神が宿るという、そういった考え方に共鳴されるのかもしれません。
 「誰も見ていないと思っても、神様は見ている。」
 善い行いも悪い行いも、親から子へ伝えられる戒めとして、この国で昔からある考え方です。でも、最近のニュースを見ていると、そんな教えはどこへやら。悲しい事件がたくさん流れています。
 行政の仕事も4月から始まって9月で半分が終わり、この時期は次の年度に行うことを考え始める頃です。
 町の課題は満載です。早速に片付きそうにないものもたくさんあります。それでも時間がたつほど対応が難しくなるものは、早急に手を付けなければなりません。職員とともに知恵を絞ってこれからの計画を作っていきます。
 話は変わりますが、スポーツの秋と言われるように、テレビからは様々なスポーツ映像が流れています。中国で行われているアジア競技大会、ラグビーワールドカップ2023フランス、来年開催されるパリオリンピックに向けた様々な種目の予選など、スポーツ好きな人にはどれを見たらいいか悩むほどの多さです。
 そんな中、アメリカ大リーグでは、日本人選手として初めて大谷選手がホームラン王を獲得しました。同じ日本人として誇らしい思いをされたのは私だけではないでしょう。もちろん直接お会いしたわけではないので、その人柄や性格はメディアの情報でしかありませんが、非の打ちどころのない素敵な人物という印象です。ただ、自分の限界を超えても、がんばってしまうような印象を受けるので、自分を大切にこれからも活躍されることをお祈りします。
 殺伐としたニュースが多い中、こうしたスポーツで頑張る選手の素敵な知らせは、ホッとできる時間を与えてくれる大切な瞬間だと思います。
 温暖化の影響か、カラッとした空気に包まれる快適な気候である秋が本当に短くなりました。夜間は冷えるようになってきたので、もう少ししたらコタツが出てくるような気もします。日ごとに天気が変わり、一日の内でも気温差が激しい季節です。体調管理には十分にお気をつけいただいてお過ごしください。

 

 

令和5年9月4日

 9月になり、朝晩の外気も少しヒンヤリするようになってきました。
 それにしても今年の夏は暑かった…。今まで経験した中で一番暑い夏だったように感じます。
 いつもなら毎日のように夕立があり、日中の熱がいったんリセットされますが、今年は雨も極端に少なく渇水の心配もしました。7月から8月に降った役場での雨量は、昨年823ミリだったのが、今年は503ミリと300ミリも少なくなっています。岐阜県ではかなり降った地域もあったようですが、白川町では特に雨が少なかったように感じます。
 そんな中、町内でも8月の終わりから稲刈りが始まりました。「日照りに飢饉なし」と言われますが、作況は比較的良いように感じます。この後の秋の長雨が心配ですが、無事に収穫ができることを祈ります。
 秋は様々な行事が行われる時期です。
 9月には、町内各地で敬老会が開催されていましたが、コロナもまだ心配なこともあり、開催されるのは少数のようです。
 コロナは色々な行事を変えてきました。人が減り、高齢化が進む中、何とか続いてきたものも、コロナを契機にやめられたものもあると思います。昔からの伝統を続けていくことは大切ですが、それに携わる人のご苦労や、現実として人がいないことで、やむなく終わるものもこれから増えるような気がします。行政として応援することはできても、実際の現場はそんな簡単なことではないと実感します。形を変えてでも、今まで続いてきたものを何とか残していきたいものです。
 日本の「四季」は「二季」になったと言われています。春と秋の「あったかい」と「涼しい」がなくなり、「暑い」か「寒い」しかなくなると。
 移ろいゆく日本の四季は、生きていることを実感させてくれる大切なものです。春の桜や色づく山の紅葉を見るたび、年を重ねていく自分を感じ、何となく自分を振り返るタイミングをくれていると思います。
 いつまでもこの美しい四季が続くよう、今できることは何かを考える初秋です。

 

 

令和5年8月1日

 早いもので、昨年、町長に就任してから1年が経過しようとしています。
 4年の任期のうち4分の1が過ぎてしまいましたが、日々の用務に追われ、新しいことに向かって進めていないことにジレンマを感じています。
 人口が少なくなったとはいえ、町内で生活していて極端に減った感じはありませんが、人口統計を見ると確実に減少しています。おそらく来年から再来年のうちには6千人台になってくるのではないでしょうか。更に、超少子高齢化が進み、中学生以下の子どもの人数と90歳以上の方の人数がほぼ一緒になってきています。
 よく高齢化率という数値が使われますが、これは65歳以上の人口比率です。今では65歳という年齢はまだまだ現役で頑張っておられる世代であり、昔の「隠居」という感覚はなくなっています。「生涯現役」でないと社会的にも通用しない世の中なのかもしれません。
 話は変わりますが、白川町の夏の夜は星空が綺麗です。
 よく晴れた日には、天の川も見ることができます。自分が子どもの頃に見たそれよりハッキリしない感じがするのは、多分視力が衰えたせいでしょう…。
 白川町の魅力を訊かれるとき、この星空は十分に価値あるものだと思います。特に、白山神社や三川の笹平高原などは、天空も広く周囲の明かりもないので、降り注ぐような星空に包まれるような感覚になると思います。日々何かとある時代ですが、そんな夜空に町民の皆さんが癒されることを祈ります。
 さて、今月から町長2年目のスタートです。
 皆さんの声を聴きながら、まちづくりを進めていきますので、その思いを届けていただければ幸いです。よろしくお願いします。

 

 

令和5年7月3日

 先月24日から、町内全河川で鮎の友釣りが解禁になり、今年も支流の解禁に私も竿を出させていただくことができました。話を聞くと、どこも釣果は芳しくなかったようで、原因はわかりませんが、自然界のことは、まだまだ分からないことが多いということでしょうか。
 昔と今では、川を見てハッキリと違うことがあります。それは、サギと鵜がどこの場所でも珍しくなくなったということです。町内で初めてサギを見た時は、「なんて白くて大きな鳥なんだろう」と少し感動も覚えましたが、このサギが色々な弊害を生むことになろうとは思いもしませんでした。実際に川魚を捕食するところは見かけませんが、あの大きな体を維持するには相当の食糧を必要とするでしょう。
 川魚はともあれ、もっと深刻なのは、稲作の被害です。田植え後しばらくすると、植えた苗が田んぼの一部分で無くなっていく。初めは水が深くて活着が悪かったのかと思いました。そう、均等に均されていない深い部分だけがなくなるのです。
 後でわかったことですが、これはサギの仕業でした。田んぼの水が減ると低い部分だけに水がある状態となり、そこへオタマジャクシが集まります。サギはそれを捕食しに田んぼへ入り歩き回ります。当然植えてある苗を踏みつけます。もともと水が深い場所は苗も脆弱なので、あの大きな体で踏みこまれると起き上がれず枯れていきます。そういったことが繰り返され、部分的に稲のない田んぼが出来上がるようです。
 今年は気候的にも安定せず、病害虫や有害鳥獣の被害も多く、農業には厳しい年のようです。サギだけでなく、猪、鹿の被害も聞きますし、その数も増えている気がします。冬眠明けの春先が多かった熊も、この時期になってもまだ目撃されています。
 できる限りの対策を講じてはいきますが、冒頭に申し上げたとおり、自然界のことはまだまだ分からないことが多く、正解を出すのは難しいですね。

 

 

令和5年6月1日

 今年は早々に5月に梅雨入りとなり、例年より早い雨の季節を迎えました。
 今月には鮎の友釣りが解禁を迎え、町内の川も太公望でにぎわうことと思います。私も小学校の4年生頃から、父について友釣りを始め、もう50年ほどになります。当時は、竹を切っただけの1本竿で、家の裏に立てかけておき、それを持って川に行くような釣りでした。解禁ともなれば前日からお祭り騒ぎで、河原で夜通し酒を酌み交わしながら夜明けを待つような光景があちらこちらで見かけられました。入川者も多く、地元の人で友釣りをやらない人がいないくらいで、解禁には都会から親戚もたくさん集まり、昼ごはんには朴葉寿司、夕方まで釣って川から上がると塩焼きでまた一杯。それが定番の友釣り解禁日でした。
 ここ数年、釣り人の高齢化と趣味の多様化により、以前より友釣り人口は減っていましたが、コロナ禍でレジャーの形態がアウトドア志向になったこともあり、少し回復してきた感じもあります。いずれにしても、川大好き人間としては、解禁が待ち遠しい限りです。
 さて、この時期心配するのが災害です。
 白川町で過去に水災害が発生した状態を顧みると、台風が接近して湿った大気により梅雨前線や秋雨前線が活発化して起こることが多かったと思います。6月から9月にかけ、こういった状況になりやすい時期が続きます。
 災害に対応いただくのは、最終的には皆さん一人ひとりです。ご自身を守り、ご家族を守り、安全が確保出来たらご近所にお声がけいただければ幸いです。
 一人も犠牲者を出さないこと、それが行政を預かる者の一番の使命だと思っていますので、梅雨入り後の出水期を迎え、今一度、防災について考えていただくようお願いします。

 

令和5年5月1日

 四季の移り変わりを、もう少しゆっくり味わいたい気もしますが、どうもこの頃の陽気はおかしな具合です。
 桜を含め春の花々は一気に咲き、4月早々には新緑の山景色となりました。俳句の春の季語として使われる「山笑う」季節です。余談ですが、季語にはこの山を擬人化した表現に、夏の「山滴る」、秋の「山粧う」、冬の「山眠る」があるそうです。山の多い白川町にとっては素敵な季語だと思います。
 さて、3年以上様々な制約を強いられた新型コロナウイルス感染症ですが、5月8日から感染症法上の位置付けが5類感染症(インフルエンザと同等)に移行されます。
 これに伴い、今まで国が負担していた感染に係る医療費が個人負担となったり、陽性者の外出自粛期間が7日間(法に基づく要請)から5日間(個人判断の目安)になったりと変更されます。また、ワクチンについては来年の3月までは自己負担なしで接種でき、春と秋に対象者が分かれています。
 コロナが5類感染症になったといっても、その特性が変わったわけではありません。基礎疾患のある方や、高齢者のリスクは以前と同様ですので、手洗いや消毒など、できる限りの予防対策は行っていただきたいと思います。
 この春には、町内各地で祭典などの行事が復活してきました。人を寄せて行う催事が3年間なかったので、皆さん段取りなどに戸惑われていることと思います。今まで引き継がれてきた行事や風習が、人口減少、少子高齢化の中で形を変えながらでも続けていけるといいですね。

 

 

4年ぶりに行われた切井・佐長田神社春季例大祭、黒川・佐久良太神社春季例大祭の様子

 

令和5年4月1日

 侍ジャパンがWBCで世界一となり、日本中が盛り上がりました。
 大谷選手やヌートバー選手の活躍はもちろん素晴らしかったですが、日本で開催された予選リーグで感じたことがあります。それは、応援する日本の観客が海外から評価されたことです。
 佐々木朗希投手のデッドボールを受けたチェコの選手が、痛みをこらえて1塁ベースまで行き、「大丈夫!」と言わんばかりに走って見せたときに起こった観客の歓声は、見ていてほっこりとした気持ちになりました。外国のチームに対しても敬意を惜しまない日本人の姿勢は、本当に素晴らしいと思います。同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。
 また、侍ジャパンのベンチを見て、ゴミ一つ落としていない日本の美文化に対しても「敬意に満ちた文化」として賞賛されていました。サッカーのワールドカップで、サポーターが客席のゴミを片付けるシーンも話題となりましたが、こういった日本人特有の気質は、脈々と受け継がれた大切なものであり、次の世代にも伝えていきたいものです。
 いよいよ4月になりました。
 入学や就職など、様々なシーンで新しい生活が始まります。役場も4月は職員の異動があります。新規採用や、異動して初めての事務を行う職員もおりますので、ご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします。
 令和5年度が平穏で、次の社会につながるような一年になることをお祈りし、行政も新たなスタートを切ってまいります。

 

令和5年3月1日

 朝晩の冷え込みはあるものの、日中の陽射しに春を感じるようになってきました。
 早いもので、町長に就任させていただいてから半年が過ぎました。何が起ころうとも陽はまた昇り、そして沈み、季節はめぐっていきます。自宅の窓から望む日の出も東へ東へと移動し、日が長くなってきたのを実感します。暖かくなると、百姓のある方々はモゾモゾして、そろそろ田畑へ行かねばという感覚に襲われるのではないでしょうか。ただ、花粉症も始まるのが難点ですが…
 年度で動く役場の仕事は、3月というのは特別な月です。
 まず、新しい年度の事業の予算を議会でお認めいただく定例会があります。1年を通して最も時間をかけて審議いただく定例会です。また、長年奉職いただいた町職員との別れの月でもあります。そして、月末には新しい町職員が研修にやってきます。職場の異動の発表もあり、新しい部署での心配や期待や、様々な思いがあふれる月です。
 令和5年度は、いよいよ新庁舎の建設が具体的に動き始めます。様々なご意見をいただきながら、よりよい庁舎をめざして進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。
 なかなか止まらない人口の減少は難しい課題ですが、2022年の全国の出生数が統計開始後で最低となったことから見ても、白川町だけの特別なことではありません。人が減ることで起こる弊害はたくさんありますが、そういった状況の中で白川町が生き抜いていく仕組みをしっかりと作っていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

2月25日に陸上自衛隊第35普通科連隊長から感謝状をいただきました

 

令和5年2月1日

 今年の冬は冷え込みも厳しく、久しぶりに冬らしい冬となりました。
 早いもので、年明けから1カ月が過ぎ、節分の時期となりました。今年は2月4日が立春。いよいよ春に向かって季節が動き始めます。
 節分と言えば豆まきですが、ご存じのとおり、悪いもの(鬼)を追い払い、良いもの(福)を呼び込む風習です。悪いものの芽が出ないよう炒った豆を使うのだそうです。個人的には、年の数だけ豆を食べるのが厳しい年齢になってきましたが…
 今、一番追い払いたいのは、何と言ってもコロナウイルスでしょうか。国の方針では、5月8日からインフルエンザと同様の扱いになるようです。その後のワクチンの取扱いなど不明確なこともたくさんありますが、ほぼ以前と変わらない日常が戻ってくる気がします。地域ごとの春の祭典の頃は、まだ微妙な感じではありますが、状況を見ながら前へ進んでいくことが大事かと思います。
 行政の仕事は3月を区切りとして、4月から新しくスタートします。現在、令和5年度に行う事業の予算案をまとめているところです。厳しい財政状況の中ではありますが、皆さんが住みやすい町を目指し、職員と一緒に知恵を絞ってまいります。
 立春とは言え、まだまだ寒い日が続きます。コロナも終息したわけではありません。体調管理にお気をつけいただき、明るい春をお迎えください。

 

 

 

新年あいさつ 令和5年1月

 暖冬かと思いきや、年末には何年振りかの積雪があり、久しぶりの雪かきをされた方も多かったと思います。
 地球温暖化の影響なのか、南国土佐の高知では、観測史上1位の積雪となったようです。近年の異常気象は、どんな形で牙をむいてくるかわからず心配するところです。
 さて、2023年がいよいよスタートです。
 私の抱負については、「広報しらかわ」のご挨拶でも述べさせていただきましたが、1文字で表すなら「継」を念頭に町政を進めたいと考えています。町の様々な課題やこれから進めようとする政策について、先人からの知恵や実績を受け継ぎ、そして次世代につなぎ、続ける。そんなことを考えながら今後の事業を進めてまいります。
 CCNetでの年頭挨拶の収録用にと、中学校(?)以来かと思われる書道をさせていただきました。
 町民の皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、本年が笑顔あふれる年となりますよう一緒にがんばっていきましょう。


 令和5年1月1日

 

令和4年11月1日

 夏のような日が続いていましたが、日が翳ると急に冷え込むようになってまいりました。ここ数年、四季の移り変わりがはっきりせず、夏と冬しかないような感覚を覚えますが、山の木々も秋の彩を纏い始めました。
 さて、町長に就任して2カ月が過ぎました。今までになかったような大勢の方々に出会い、また様々な場であいさつをさせていただき、あっという間に時が過ぎた気がしています。
 コロナも、町内での感染者が毎日のように出ていましたが、このところ感染者ゼロの日もあり、完全な終息には至りませんが、勢いは少し弱まった感もあります。
国では、外国人の入国制限の緩和や全国旅行割など、経済対策も行われ、年末に向け感染者数が増加しても昨年のような移動制限はないかもしれません。今後、コロナもインフルエンザのように流行の波を繰り返しながら対応していくことになるのでしょうか。
 話は変わりますが、白川町では、コロナや国際情勢、円安の影響による物価高騰対策として、補正予算で地域振興券、ゴミ袋の配布や、水道料金の基本料金の無料化を行っています。電気、ガスをはじめ、様々なものが値上がりしている中、少しでも皆さんのご負担が緩和できれば幸いと思います。
 本格的な寒さが近づき、光熱水費の負担が増える時期です。一刻も早く情勢が改善することを祈りますが、この状態はしばらく続くかもしれません。状況を見ながら対策できることはないか考えていきたいと思います。
 一日の気温差が激しく、体調管理が難しい時期です。くれぐれもご自愛くださいますよう。

 

10月2日、名古屋市をはじめとする木曽三川流域の市町村長らが一堂に会する「木曽三川流域自治体サミット」が3年ぶりに本町で開催されました。

 

就任あいさつ

 このたびの町長選挙におきまして、無投票という形で初当選という栄に浴し、町長という重責を担わせていただくことになりました。
 任期半ばで、やむなく退任されました細江茂樹前町長には、課題の多い中、ご心労も多かったであろうとお察しし、そのご労苦に対し深く感謝申し上げます。後任として、白川町の町長として舵取りを託され、その責務の重大さに改めまして身の引き締まる思いであります。
 私は、この町で生まれ、この町で育ち、白川町役場に38年余奉職してまいりました。その間に積み築いてきた基盤をベースにし、これからの4年間、町民の皆様全体の奉仕者として、初心を忘れず、庶民派の町長として誠心誠意職務に邁進する所存であります。
 今後の町政運営にあたっては、「目指す白川町のすがた」として①産業、②人口減少・少子高齢化、③防災、④人・つながり、⑤地域資源、⑥インフラ・交通の6項目について掲げております。詳細については、折に触れ説明してまいります。
一昨年策定しました第6次総合計画における令和10年の人口目標は、6,400人であり、人口減少の進む中、いかに日常の生活を守れるかが課題となります。今後のまちづくりにおいては、新しいことを進める「攻め」と、今の生活を継続する「守り」のバランス感をもって行うことが必要との認識のもと、町政を推進してまいります。
 役場新庁舎の建設については、令和7年5月の開庁に向け進めてまいりますが、単に建物を新しくするだけでなく、町民の皆さんの手続きや問い合わせが、各地区ふれあいセンターで行える仕組みや、わかりやすい窓口となるよう考えてまいります。
おわりに、行政だけでできることには限界があります。これからも白川町で暮らし続けていくためには、町民皆さまの力と、地域で課題解決に取り組もうとする意識を育てることが必要です。今後、一層のご支援・ご鞭撻をお願い申し上げ、就任のごあいさつとさせていただきます。

 

 令和4年8月23日
 白川町長  佐 伯 正 貴

 

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白川町 総務課秘書係

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