白川茶について
白川茶の特徴
国内のお茶の主産地の中では自然環境の厳しい山間部に位置しております。(北緯35度)
「深山幽谷にして、朝夕川霧多く、空気は常に湿気を含み、表土能く乾燥する」風土が、お茶栽培にぴったりだったため、白川流域に広まったと伝えられています。 海抜200m〜600mと高い標高に位置する白川の茶園では、新芽が育つ4月〜5月頃の昼夜の温度差が大きく、葉がゆっくりと成長する上、朝、川から立ち上る霧がベールとなって葉の乾燥を防ぐため、質の良いお茶が育ちます。
白川茶の歴史
奈良時代の宝亀年間(770~780年)に美濃国大山白山神社を創設した泰澄大師が仏都である京都からの帰途、山城国の白山神社地蔵院に立ち寄りお茶の種子を持ち帰って現在の白川町広野の里人に呼びかけ栽培されたのが白川茶の始まりと伝えられています。
また、一説にはその昔、大沢村(東白川村五加)の蟠竜寺の住職が山城国宇治から茶の実を持ち帰り里人に与え栽培したのが始まりともいわれている。
蟠竜寺は、7か所の檀那寺で、東白川村大沢・下野・久須見・柏本・宮代と、白川町中川の中屋・須崎の旧村であった。 白川町内の中川の人たちの話では、お茶は東白川の方から広がってきたと説かれる。 以上の伝説から思うことは、泰澄大師が京都から白川の地に広めた年代を見ると、宇治茶よりももっと早いことになる。 泰澄大師の頃には、すでに京都付近にお茶があったことになる。 両方とも歴史的な資料がないので、確実なことはわかっていない。いずれにせよ、日本茶の伝来に関しては、仏教の深いかかわりがあることは、多くの史実が物語っている。 お茶に関して、江戸時代以前の古記録は無く、お茶の製造・売買が行われたか詳らかでない。一番古い記録として、検地の時の記録が残っている。慶長14年(1609年)に実施された検地の記録に上田村(白川町三川)石盛定に「茶原」という記事があり、上田村は山の高い場所で水田が少なく領主に年貢が納めれれなく、年貢の足しにお茶を製造していたと伝えられています。
関連情報
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白川茶手もみ保存会 手もみ製茶動画のご紹介(外部リンク)
白川町では「手揉み」技術の継承保存を目的として「白川茶手揉み保存会」の皆様により様々な活動が行われております。今回その活動の一環として、白川町のYouTube公式チャンネルで手揉み茶製造の様子が紹介されました。とても丁寧な解説で10分程度の内容にまとめられております。ぜひ一度ご視聴ください。
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